津まつりの歴史
大昔から続く津まつりには400年近くの歴史があるそうです。
三重県の津まつりは寛永年間から始まったらしいので長い歴史を持つと地元民も 誇らしく思っているでしょうが、三重県に住んでいる人以外にはあまり知られて いないお祭りかもしれません。 試しに近くの名古屋市民や岐阜市民に「津まつりって行ったことある?」と尋ねて みれば、どれだけの知名度があり足を運ばれているのかがわかるでしょう。 それまでは現在の垂水にあった八幡宮を結城の森に移して津の総氏神として 奉ったそうですし、その地域で暮らす方には親しまれていたのでしょうが遠くから はるばるやってくる観光客はそれほど多くはないかもしれません。 九州や関東、北陸にお住まいの方だと津市どころか三重県に足を踏み入れたこと すらないという人も少なくはなさそうです。 江戸時代の津まつりは8月9日から一週間続いたそうで、参加者は2千人近く にもなったらしいのですがきっと地元の人が大半だったと思われます。 神の遊行をあらわす神輿行列と豪華な衣装や造り物で群衆が囃し踊る風流行列 とがあり、このふたつの行列で練り歩きます。 神輿行列は弓、太刀、槍、獅子頭、馬、太鼓伶人、旗、榊木、大麻、鉾、巫女、 社僧、神主で構成され、200人以上になります。 風流行列の方ですがこちらは各町の出し物のような形になり、浜魚町は造物、 曳船一艘、堀川町・新中町は大名行列の真似、西来寺は鐘曳、東町ははりぬき大頭、 釜屋町は山伏の真似、加屋町は石引、西町・塔世町は仙人の真似、南世古・大世古 は鷹野といったように町ごとに役割のようなものがあったようです。 宿屋町・中之番町は高野聖の真似、と物真似ではありませんが楽しく遊ぶような 感じで、他にも伊予町・岩田町は母衣武者の真似、新魚町は愛宕参りの真似、 分部町は唐人行列、立世古町・西之番町・京口町は鷹野行列、大門町は潮汲、 築地は猩々印五幣、宝禄町は杣人行列、山瀬古町は御湯立、地頭領町は川猟、 新立町は順礼、と千人以上の行列になったとの記録があります。 細かい順番はクジを引いて決めていたので毎年コロコロ入れ替わっていたそうですが、 江戸時代後期にはクジを毎年引くのも面倒なためかいつも同じ順序で行列を組む ように変化してきたらしいです。 1回ごとにクジで順序を決めるのが公平という者もいたかもしれませんが、 クジを準備するのだって参加者も多いので手間がかかります。 ならばもう順序を固定してそれに従ってもらったほうが、多少強引だとしても みんなが理解しやすいですし合理的でしょう。 長年継続されているまつりなので遅かれ早かれこのようになったとは思いますが、 その時期は早めにやってきたようです。 藩主の名代として夏真っ盛りの8月の15日に加判奉行が津城の京口門を出ると、 八幡町にある御旅所に向かうのですがこれが津まつり開始のサインになります。 先陣は真榊と太鼓が務め、午前中に八幡宮をぐるりと練り歩いたらお昼以降には 津城の内堀付近を通過します。 その様子を藩主やお城の関係者達が笑顔で見守っていたのでしょう。 一行は城内を歩き終えたら町へと繰り出し、やはり歩き回ります。 回を重ねるごとに行列の内容も変化しているようで、始まった頃は大名行列の 真似や仙人の真似も多かったのですが次第に屋台や山車が行列をこしらえる ようになってきたようです。 他には文化が発展したためか能楽に関わる出し物も増加したらしいですし、 ふたつを組み合わせて屋台に能役者の人形を飾ったりもされたそうです。 このように津まつりは始まって少しずつ今の形に近づいてきたのですが、その辺 の事情に詳しい人は津にお住まいの方でもほんの一握りかもしれません。